『銀座の若大将』以来、久々に若大将シリーズでスキーを取り上げた作品。加山は俳優デビュー前の1959年・1960年の国民体育大会(国体)にスキーで出場したことがあり、終盤に苗場スキー場で開催される大会ではスタント無しで滑る・飛ぶシーンが見られる。 また『ハワイの若大将』に引き続いて今はなきパンアメリカン航空(以下「パンナム」)とのタイアップ作品でもあり、今回はマドンナ役の澄子がパンナム社員という設定で、同社の極東地区広報支配人だったデビッド・ジョーンズも出演した。 京南大学工学部建築科の若大将・田沼雄一は建築学の論文が欧州の学会で評価されて山下教授と共にヨーロッパ旅行に招待された。若大将はスイスでの余暇を利用してツェルマットへスキーに出かけ、そこでパンナムの現地グランドスタッフとして駐在している澄子と馬ぞりで相乗りになる。しかしこの旅行には青大将・石山新次郎も彼の父の依頼で随行しており、ジュネーブ滞在中に青大将はパリへナンパへ行ったことで山下教授から大目玉を喰らう。 一行はウィーンへ行き、そこでトニー・ザイラーに会えたことで嬉しかった若大将はある男性と一緒の澄子を見かけて愕然とする。更にローマでもパンナムの支店で澄子に会うが、そこで「ウィーンで一緒だった男」がジョーンズ支配人とわかり、支配人の計らいで翌日若大将と澄子はローマの市内観光がてらデートする。一方青大将は懲りずにローマでもナンパ。 日本へ帰国すると若大将はスキー部の練習に励む一方、青大将はパリでナンパしたフランス人女性(リセエンヌ)が来日したことで頭を痛めていた。当時はまだ外国人を毛嫌いする風潮が強かったため青大将の自宅に泊めることができず、ホテルに泊めようとも考えたが、宿泊費で小遣いが持たないため田能久にステイさせてもらうよう懇願する。一方押しつけられた若大将も久太郎の反発に遭ったが、りきに説得されて久太郎はやむなくリセエンヌを迎え入れる。リセエンヌは田沼家が気に入ったらしく、店のアルバイトまでしてしまう。 若大将・江口ら京南大学スキー部一行は大会を控えて苗場くりっく365 へ合宿に出発する。東京へ異動した澄子も若大将からの電話を受けて青大将を利用して上野駅へ見送りに行くが、白バイに追われながら上野駅へ行ったにもかかわらず見送りに間に合わなかった。その後、青大将と澄子も若大将達を追って苗場へ行くと、京南大学の悦子も若大将にスキーの指導を乞うべく苗場入りしていた。そこでの行き違いもあって若大将と喧嘩別れをした澄子は、再びヨーロッパの支店へと転勤してしまったのだった。 本作の併映(同時上映)は、谷啓主演の『クレージーだよ奇想天外』だが、こちらの作品でも星由里子がヒロインを務めている(ちなみに、脚本も本作と同じく田波靖男)。通常、同時上映される2作品は同時期に撮影されている場合が多く、このように二本立て興行でヒロインが同一というのは珍しい例である。なお、この『アルプス』と『奇想天外』の二本立て興行収入は、1966年の東宝映画の興行でトップであった。 トニー・ザイラーの出演に関しては、当初はトニーに出演を依頼すべく東宝が動いていたが、アポイントが取れず諦めていたところ、撮影でスイスに着いたら偶然トニー本人に出くわし、その場で依頼したところ、チョイ役とはいえ急遽特別出演が実現したという奇跡のような逸話が残っている。 デビッド・ジョーンズは、パン・アメリカン航空の極東地区支配人で、大相撲本場所で優勝力士に表彰状を手渡す外国人として有名だった。澄子の上司として出演し、劇中のテレビでも「ヒョーショージョー」が見られる。 田能久にホームステイする役のイーデス・ハンソンは、当時、関西弁を喋る外国人タレントとして人気だったが、本作では終始標準語を通している。また、イーデス本人はアメリカ籍なのだが、本作の役柄はフランス人であった。 今の時代なら「ヨーロッパへのフライトになんで日本・アジアまたは欧州系の航空会社を使わないんだ?」というツッコミが入るかもしれないが、当時は国際的な航空連合がなく、大手の航空会社では世界の主要都市を経由する世界一周路線を運行しており、当時の日本航空はもちろんのこと、パンアメリカン航空とて例外ではなかった。また当時の主力機材がボーイング707だったこと、アメリカ合衆国とロシア(ソビエト社会主義共和国連邦)は冷戦まっただ中で現在のシベリア経由は不可能だったことを考えると、劇中ではこの世界一周路線か、アンカレジ経由でヨーロッパへ飛んだ可能性が考えられる。(ヨーロッパ航空航路も参照) CFD シリーズでは学生編の海外ロケ作品でパンナムがスポンサーについていたが、パンナムを利用して南北アメリカ以外へ渡航した作品は『レッツゴー!若大将』の香港、『南太平洋の若大将』のタヒチがある。 1965年、来日公演を行ったザ・ベンチャーズや、既に世界的な人気となっていたビートルズといったロックバンドの影響で、日本は時あたかも空前のエレキギターブームの最中だった頃に製作された作品。 今回のスポーツはアメリカンフットボール(劇中では「アメリカンラグビー」と称していた)。若大将・田沼雄一(加山雄三)はアメフト部の次期キャプテンに任命され、自宅のすき焼き店「田能久」で就任祝いの宴会を開く。しかし宴会の帰りに青大将・石山新次郎(田中邦衛)は飲酒運転で交通事故を起こし、同乗していた田沼がその罪をかぶったことで停学処分を受けてしまう。その事故の被害者が楽器店に勤める星山澄子(星由里子)だった。 若大将と青大将がお詫びの挨拶に澄子の勤めるリート楽器店を訪ねると、勝ち抜きエレキ合戦に出場するバンド「アイビーシスターズ」(メンバーの一人が加山雄三夫人となる松本めぐみ)に会う。10週連続で勝ち抜くことができれば賞金10万円と聞いて、賞金を澄子への賠償金に充てるべく出場を決意する。若大将と青大将はアメフト部のメンバーと「日経225 」を結成、これに若大将の友人:そば屋の隆(寺内タケシ)が加わったことで10週連続で勝ち抜きエレキ合戦に優勝する。しかしエレキ合戦の決勝戦相手は田沼家が融資を依頼していた銀行家の息子であり、乱闘騒ぎが災いして融資を断られた結果、田能久は倒産し、若大将は勘当されてしまう。若大将はプロの歌手となって田能久の再建を果たすのだった。 前作『ハワイの若大将』の後、加山は黒澤明監督『赤ひげ』への出演が決まり、1964年はその撮影に拘束されることになった。黒澤は出演者に他作品との掛け持ち撮影を許さない上、『赤ひげ』の撮影は予定を大幅に超え、実に1年にわたったため、既に東宝の看板作のひとつとなっていた若大将シリーズは、1963年夏に公開された前作以来、休止を強いられた。 ストーリー 京南大学水泳部のホープ・田沼雄一は、部のコンパの買出しに出かけたスーパーマーケットでレジスター係の芦野澄子と知り合う。青大将主催のダンスパーティに招待された澄子は、停電で電子ギターが使えなくなった青大将を助けてギター片手に歌を歌いその場を助ける。澄子は歌う雄一をうっとりと眺めるのだったが、その場にはミュージカルスターの秋山悦子や音楽プロデューサーなどもいて熱い目線を若大将に送るのだった。 試験で青大将のカンニング騒動に巻き込まれた雄一は停学処分になり、また父親の久太郎に黙って商科ではなく水産学部に籍を置いていたことがばれて勘当になってしまう。困った雄一は、航海士の免許を片手に学術調査船に乗り込んで生活しようと考えるが、その船は青大将が船長で、父親にねだって運行する光進丸だった。出航の見送りに来た澄子は、秋山悦子と親しくする雄一に腹を立ててこっそりと乗り込むのだった。やがて船は、台風に巻き込まれて遭難し、御蔵島というところへ流れ着く。その島には美しい網元の娘である昌江がいた。雄一と昌江が親しくするのが気に入らず嫉妬する澄子は、東京に戻っても雄一とは会わずにいたのだった。 やがて日豪水泳大会が開催されることになる。若大将は澄子にしかとをされていま一つ調子が出ないままであった。御蔵島からは網元が昌江を雄一と結婚させようとやってきた。それを知った澄子は、自分から身を引くことにするのだった。 エピソード 2年ぶりのシリーズ復活となった本作は撮影期間が限られていたので、クレージー映画で頭角を現していた早撮りの名人・古澤憲吾監督が初めて若大将シリーズを担当することになった。また、東宝撮影所の撮影スケジュールがつかなかったので、傍系の宝塚映画が製作した。そのため、舞台は東京であるがロケは関西で行われ、ラストの水泳大会のシーンは大阪市の扇町プールで収録されている。舞台が東京であることを強調するために、古澤監督はそれまで麻布にあった田能久の設定をより東京らしい景色を撮れる浅草に変更したという。 本作から脚本が田波の単独になったこともあり、マンネリズムを打破しようと初めて雄一と澄子のベッドシーンを書いたが、プロデューサーの藤本は「雄一と澄子の恋愛はあくまでプラトニックでなければならない」と、これをボツにした。その後もシリーズでベッドシーンが描かれることはなかった。 ちなみに田波にとっては、これが東宝社員としては最後の脚本作品であった。藤本に脚本家として独立すべきだと即され、退社し東宝の契約脚本家となる。 寺内タケシとブルージーンズは本作がシリーズ初出演。『君が好きだから』のバック演奏だが、アレンジは寺内によるものだった。