1960年代の日本映画を代表する人気シリーズの第1作である。東宝の娯楽映画のベテラン杉江敏男が監督した。この映画から加山雄三は大スターの道を歩むことになる。また、それまで端役だった田中邦衛にとって初めての大きな役で、この作品での青大将役の存在感が認められ、青大将は若大将の悪友的な存在としてシリーズにはなくてはならないキャラクターとなった。藤山陽子はこの作品でデビューした。 京南大学法学部の学生、田沼雄一は水泳部のエースであり若大将というニックネームで呼ばれている。おっとりとした性格で授業中にドカ弁を食べる豪快さもある。麻布の老舗のすき焼き屋・田能久の長男でもあるが、謹厳実直な父親の久太郎とは意見が合わず、ぶつかってばかりいる。祖母のりきのはからいだったが、店の肉を盗み出したと誤解を受けて勘当を食らってしまう。水泳部の合宿までと知り合いの植木屋やマネージャーの多胡のアルバイト先などを転々とし、湖の貸しボートハウスでアルバイトを始める。そこには知り合っていた石山製菓のキャンディ・ガールの中里澄子も夏季出店のために来ていた。仲良くする二人。しかし、若大将を敵視する青大将の石山の横槍が入ったりする。一方、ボートが転覆して溺れそうになっていた野村社長父子を助け、その娘である千枝子との見合い話が持ち上がる。だが、多胡が千枝子に好意を持っていることを知り、雄一は見合いをして、日経225 のことを伝えようと画策する。だが、澄子は誤解をしてやけになって青大将の誘いに乗ってドライブへ。ところが雄一の水泳大会の応援に向う途中の祖母・りきをはねてしまう。知らせを受けた雄一は、祖母の為に輸血をして再び、水泳大会の会場へ青大将の運転する車で向うのだった。 高度成長期の大学生の恋とスポーツを描いた映画である。全作品カラー、シネマスコープである。 このシリーズの生みの親はプロデューサーの藤本真澄と脚本の田波靖男である。加山雄三は前年デビューし、田中友幸プロデューサーのもとで『独立愚連隊西へ』(1960年)や『暗黒街の弾痕』(1961年)で準主役を張り着実に大物振りを発揮しだしていたが、大学出たばかりで演技といえるものではなかった。そこで満を持して藤本は、本格的に加山雄三を売り出すことにし、戦前の松竹映画の『大学の若旦那』を現代風にアレンジする企画を立てた。加山を呼んできて生い立ちなど聞き、お婆ちゃん子であったことやドカ弁で1日5食だという逸話などを取り入れて加山と等身大の主人公像を作り上げたのだった。メインライターは笠原良三だったが、超売れっ子で映画各社の掛け持ちも多く、東宝文芸部の田波が大枠を書いていた。第1作『大学の若大将』の浄化槽の蓋で焼肉をするのも田波のアイデアだった。 実は、『大学の若大将』の第1稿ではマンホールの蓋で焼肉を焼くというものだったが、藤本から良識ある大学生がするもんじゃない、人が落ちたらどうするんだとクレームがついてしまった。だが、ギャグにこだわった田波は、公道のマンホールがダメなら大学構内の浄化槽の蓋にして、プロデューサーの意見を逆手に取り入れて管理人の片足を落すことにした。1961年7月に公開された『大学の若大将』は加山自身を演じたFX のヒーロー像が受けて大ヒットとなった。しかも劇場では、この浄化槽の蓋のギャグが大受けだった。さっそく藤本プロデューサーは二作目の制作を指示したが、「この次もマンホールの蓋で肉を焼くギャグを考えてくれ」と注文を付け田波をあきれさせた。こうして若大将シリーズははじまった。 第2作の『銀座の若大将』もヒットしたが、一応、その次の『日本一の若大将』で3部作のトリという内容だったが、人気は衰えず初の海外ロケの『ハワイの若大将』まで作られた。ただこの作品の後、加山は黒澤明監督の『赤ひげ』出演のため1年間拘束されることが決まっていた。スタッフは、1年のブランクで折角の若大将シリーズの人気も冷め、これで打ち止めも覚悟していた。だが、反対に観客の飢餓感の方が勝り、国内ロケの『海の若大将』は前作を上回る興業成績を収めた。またこの作品で歌われた弾厚作作曲、岩谷時子作詞、森岡賢一郎編曲の「恋は紅いバラ」「君が好きだから」もレコードヒットし、ここに至って若大将シリーズは確固たる地位を築いたのだった。続く『エレキの若大将』は加山の音楽的な才能と当時流行していたエレキブームがマッチした出色の音楽映画作品となった。また加山の代表作である「君といつまでも」も挿入歌として歌われたが、このレコードが300万枚を売り上げるミリオンセラーとなり、加山雄三ブームといえる現象も生みだした。このブームの中、二度目の海外ロケ作品である『アルプスの若大将』は、加山の得意なスキーを前面に取り上げ、シリーズでも『大学の若大将』に次ぐ観客動員と1966年の東宝映画外為 収入第1位を果たす大ヒットとなった。翌年の1967年には正月公開の『レッツゴー!若大将』、東宝35周年記念作品『南太平洋の若大将』、『ゴー!ゴー!若大将』と3本が公開されることになった。押しもおされぬ東宝のドル箱シリーズの面目躍如というところだった。 加山の実年齢が30歳を越えるとさすがに大学生には無理があるようになった。そのため、『リオの若大将』で若大将を卒業させてシリーズを終わらせることにした。しかし、これだけのヒット作を終わらせるのはもったいないということで、東宝が得意とするサラリーマン喜劇へとシフトさせることになった。この際に成熟した大人の女性としての色気がどうしても出てしまうようになった星由里子から若手成長株だった酒井和歌子をマドンナ役に抜擢し、澄子とは違った、からりとした性格の節子がヒロインとなった。この抜擢に当初、酒井和歌子は、加山雄三との年齢差や星由里子とのあまりの違いもあり躊躇したようであるが、ういういしく清新なマドンナ像となった。1969年の正月映画となった『フレシュマン若大将』は、高度経済成長期の60年代の花形産業であった自動車メーカー日東自動車のサラリーマンとなった若大将・加山と大学を中退して縁故で副社長になった田中邦衛の青大将の絶妙なコンビぶりもあって前作『リオの若大将』を上回る観客動員、興行収入となるヒット作になった。続けて同年7月に公開した『フレシュマン若大将』の続篇的な『ニュージーランドの若大将』は、同じく日東自動車のサラリーマンで、半年後の公開作であったが加山の実年齢に近づけるために2年間の海外赴任をしていたという設定であった。両作ともアクション映画を得意とした福田純のテンポある演出の軽快な作品となり、若大将シリーズ社会人編は無難な船出をすることができた。ちなみに『リオの若大将』から『ニュージランドの若大将』まで藤本を補佐する形でプロデューサーとなった大森幹彦によれば、企画としては『ニュージーランドの若大将』が先にあったが、急遽、北海道ロケ篇を作ることになったため2作が繋がった形になったという。 各作品の主要登場人物などの基本的な設定は共通しているがシリーズとしては「男はつらいよ」シリーズとは異なり、ストーリーのつながりはない。このため、このシリーズは一種のパラレルワールドを描いているともいえる。